旧 城泉寺(きゅうじょうせんじ)(米家)十三重石塔(熊本県八代市植柳元町5642)
もと城泉寺にあった十三重石塔で、現在は十一重。城泉寺に残る二基の石塔と同様、寛喜二年(1230)の銘があり、三基のうち最も造形的に優れている。
旧 城泉寺十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代前期 寛喜二年 1230年、凝灰岩、高さ 660Cm)
初層軸部 正面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする | ||
現在十一重で、八代市の米家邸内、庭園中央に立っている | 初層軸部 側面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする |
初層軸部は、四面とも二重円光背を彫りくぼめ、内に蓮華座上に坐す定印阿弥陀像を刻む。軸部側面、阿弥陀坐像の左右に銘文を刻む。
初層 屋根
軒は緩く反り、軒下に垂木型、軒先には隅木を刻出し、隅木の先端に表情の異なる鬼面を刻む。
初層軸部 背面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする | ||
初層軸部 側面、二重円光背を彫りくぼめ定印阿弥陀坐像を半肉彫りする | 屋根と軸部を別石にして積重ね、屋根・軸部の逓減率は守られている |
初層軸部 刻銘
軸部は、横幅が広く安定感があり、側面の阿弥陀坐像の左右に銘文を刻む。
銘文:「奉造立十三重石塔、右為滅罪生善乃至法界平等利益、造立如件、寛喜二年(1230)、庚刁(寅)、十一月日、大檀那沙弥浄心、幷藤原氏」
「大工兼仏師幸西、小工栄幸、行事 藤原頼忠、源光吉、鍛冶末正、院主金剛佛子念西」
生前の滅罪と法界平等利益を願って、沙弥浄心・藤原氏がこの十三重石塔を寛喜二年(1230)に造立した。大工兼仏師の幸西と弟子の栄幸の名、
この催しをつかさどった行事 三名と院主 念西の名も刻まれている。石塔を造り、細部の仏像及び鬼面を彫ったので、大工兼仏師と刻まれている。
初層軸部、阿弥陀像の向かって右側刻銘、続いて三行 | 初層軸部、阿弥陀像の向かって右側、最初の刻銘 |
右側、最初の刻銘、三行:「奉造立十三重石塔、右為滅罪生善乃至法界平等利益、造立如件」
右側、続いて刻銘、三行:「寛喜二年(1230)、庚刁(寅)、十一月日、大檀那沙弥浄心、幷藤原氏」
初層軸部、阿弥陀像の向かって左側の刻銘
左側刻銘:「大工兼仏師幸西、小工栄幸、行事藤原頼忠、源光吉、鍛冶末正、院主金剛佛子念西」
相輪は後補で、露盤上に伏鉢・請花・九輪、水煙、宝珠を載せている | 初層屋根、隅木の先端に刻まれた鬼面 |
初層屋根、隅木に刻まれた鬼面
彩色された鬼面の力強い表情は迫力があり、その表現は石塔の芸術性を高めている。
二層目軸部、四面に定印阿弥陀坐像を刻む | 三層目軸部、四面に定印阿弥陀坐像を刻む |
基 礎
新補の基壇上に、二段重ねの基礎(後補)を置く。
鬼面は屋根の隅木先端四方に刻出し、しかもその表情は夫々異なっている。各層に刻まれた鬼面は、この石塔を特色づけている。 |
城泉寺(じょうせんじ)(明導寺)九重石塔 石仏と石塔-目次!
城泉寺(じょうせんじ)十三重石塔(復元塔 平成四年 1992年、湯前町)
現在、湯前町の城泉寺には、重文の九重石塔・七重石塔の向かい側に、復元された十三重石塔が立っている。
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*肥薩おれんじ鉄道 「肥後高田(ひごこうだ)駅」下車、北西方向へ徒歩 約30分。
(撮影:平成24年1月26日)