山田毘沙門(やまだびしゃもん)脇 石造宝塔

 山田毘沙門脇(やまだびしゃもんわき)石造宝塔 (熊本県玉名市山田)

   塔身に多宝・釈迦の二仏並座像を刻む宝塔で、この地方の地主 比丘尼戒念の供養塔。鎌倉時代中期 建長四年(1252)の紀年銘がある。

山田毘沙門脇 石造宝塔(市指定文化財、鎌倉時代中期 建長四年 1252年、凝灰岩、塔身の高さ 69Cm)

宝塔は、山田毘沙門天の北側に立つ。相輪と基壇は新補で、笠は層塔のものを載せる。塔身正面に釈迦・多宝の二仏並座像を刻む

笠は、軒下に垂木、軒先には隅木を細かく刻んでいる。層塔の屋根を流用する。

塔身は、正面を方形に彫り込み、内に法華経 見宝塔品に説く 多宝・釈迦の二仏並座と思われる坐像を半肉彫りにする。坐像の顔面は破損している。

二仏は胸前で手を合わせているが、衲衣で覆われ印相は見れない。台座は、三段の框座(かまちざ)上に、細かく蓮弁を刻む蓮華座を彫出する。

塔身 首部

上端に奉籠孔が設けられる。形状は一段で無地、頂部に笠を受ける枘(ほぞ)が見える。

この地域は、鎌倉時代より日吉神社、その神宮寺である山田山吉祥寺及び合殿白山宮を修験道の一大道場として発展した。(建長の塔:現地説明板)

刻銘、     刻銘、

塔身、向かって右側面(北面)の刻銘

刻銘 「右造立志者、為東山田地主比丘尼戒念、成佛得道口又法界衆生平等利益也仍如件」

刻銘 「建長二二(四)(1252)、壬子、七月廿八日」「戒念往生同六月廿八日巳口也」

建長四年(1252)六月二十八日に亡くなった東山田の地主 比丘尼戒念の成仏を願って、同年七月二十八日にこの宝塔を造立した。

石造宝塔 (北面) (市指定文化財、鎌倉時代中期 建長四年)

北面の塔身に、造立趣旨と建長四年(1252)の紀年銘が刻まれている。

石造宝塔(南面)(市指定文化財、鎌倉時代中期 塔身南面、法華経見宝塔品 第十一に出る偈(げ)が刻まれている。

塔身、向かって左側面(南面)の刻銘(偈)

偈(げ):「善哉〃〃(ぜんざいぜんざい)、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、能以平等大慧(のういびょうどうだいえ)

教菩薩法(きょうぼさつほう)佛所護念(ぶっしょごねん)、妙法華経(みょうほうげきょう)、為大衆説(いだいしゅせつ)

如是〃〃(にょぜにょぜ)釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、如所説者(にょしょせつしゃ)皆是真実(かいぜしんじつ)

[ よきかな、よきかな。釈迦牟尼世尊は、よく平等の大慧(だいえ)、菩薩を教える法にして、仏に護念せられたる、

妙法華経をもって、大衆の為に説く。かくの如し、かくの如し。釈迦牟尼世尊の説く所の如きは、皆これ真実也 ]

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山 田 毘 沙 門 天

石造宝塔は、石段を登った、お堂の左側に安置されている。

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*JR 鹿児島本線 「玉名駅」下車、北北西方向へ徒歩 約35分。

(撮影:平成24年1月28日)