縁城寺(えんじょうじ)多宝塔 下重(京都府京丹後市峰山町橋木873)

  天平時代の養老元年(717)にインド僧 善無畏三蔵の創建と伝える古刹。盛時には、七堂二十五坊が並び建っていた。

縁城寺(えんじょうじ)多宝塔 下重(指定なし、江戸時代後期 天保五年 1834年建立)

塔は正面と左面に高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間蟇股、脇間蓑束

下重の組物は二手先で、今はない軒はもと二軒繁垂木、上重は四手先組物で軒は扇垂木、屋根は桟瓦葺だった

現在の多宝塔が建立される前には、南北朝時代 応安七年(1374)の火災後 再建した塔が残っていたといい、破損が甚だしく天保元年(1830)に撤去され、

四年後の天保五年(1834)に、今の塔が建立されたが、昭和三十八年(1963)の豪雪で多宝塔の上重が倒壊した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和三十八年(1963)の上重倒壊後、初重の上に仮屋根をかけ、現在に至っている

多宝塔の前に往時の露盤が置かれていた
脇間の蓑塚(みのづか) 中央間の蟇股

内部は四天柱があり、三方が壁の須弥壇が置かれ、金剛界大日如来坐像を安置する

縁城寺宝篋印塔(重要文化財、南北朝時代前期 正平六年 1351年、花崗岩、高さ 313.9Cm)

南朝年号の正平六年(1351)に行秀和尚が、開山の善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)の供養塔として造立した

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縁 城 寺 本 殿

本尊は、重要文化財指定の千手観音立像(平安時代)

*北タンゴ鉄道宮津線「峰山駅」下車、北方向へ徒歩 約50分。タクシーで6分。

(撮影:平成21年10月19日)