如意輪寺(にょいりんじ)多宝塔(吉野郡吉野町吉野山1024)

  中千本の桜樹のあいだ、南朝の勅願寺、後醍醐天皇の塔尾陵がある

如意輪寺(にょいりんじ)多宝塔(指定なし、大正十五年 1926年、本瓦葺、一辺4.6m)


上重、四手先組物、軒は二軒繁垂木

下重、組物は出組、軒は二軒繁垂木

如意輪寺は平安時代の延期年間(901〜923)に日蔵道賢により開かれた

塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間菊水の彫刻の蟇股、脇間蓑束


下重、四隅の鬼瓦にも菊水の紋が入っている

下重、軒と組物

正平二年(1346)、楠木正行(くすのきまさつら)が四条畷の合戦に向うにあたり、この地で辞世の句を詠んだ、有名な

「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」

(今度の戦いは生きてかえれぬ身であるが故に亡き人の仲間入りをする名前を残して出発します)

桜と水仙に彩られてこの季節、如意輪寺の一番見頃を迎える


中備えの蟇股、菊水の紋の彫刻が入る

下重、擬宝珠高欄を付した縁

塔の内部は来迎柱が二本あり、本尊の阿弥陀如来を安置する

吉野、中千本の桜

後醍醐天皇塔尾陵

延元四年(1339)後醍醐天皇崩御、遺骸を当時の裏山に葬られたのが塔尾陵

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如意輪寺本堂(如意輪堂)(江戸時代 慶安三年 1650年再建)

*近鉄吉野駅から、ロープウェイ吉野山下車 徒歩2.7km.。 如意輪寺は中千本のシンボルタワー

(平成18年4月16日撮影)