十二社権現(じゅうにしゃごんげん)[奈良県宇陀市榛原区檜牧(ひのまき)字西谷]
鎌倉時代後期 正応三年(1290)の層塔軸部を流用する、江戸時代の石殿。
十二社権現(じゅうにしゃごんげん)石殿 (江戸時代前期 承応二年 1653年、流紋岩)
石段を登った所に三基ある石殿の、向かって左側の石殿。屋根・軸部・基礎で構成し、軸部は鎌倉時代後期 正応三年(1290)在銘の層塔軸部を流用する |
軸部 正面
石造層塔の初層軸部を流用する。前後に、円形穴をくり抜き、上下面と左右面に胎蔵界四仏の種子を薬研彫する。
正面 左右に、鎌倉時代後期 「正応三年(1290)口口」「四月廿口日」の紀年銘を刻む。
向かって左面、胎蔵界四仏の種子「アク(天鼓雷音)」を薬研彫する | 向かって右面、胎蔵界四仏の種子「アー(開敷華王)」を薬研彫する |
屋 根、
屋根は前軒を深くした前面流れの入母屋造で、入母屋造の妻部に束を立て、上に大棟を造り出す。
裏面に「承応二天(1653)癸巳八月吉日」の刻銘がある。文中四年銘石殿の屋根を模して作られているが、軒反が直線で江戸時代の様式になっている。
基 礎
基礎は低く、一石で、刻銘はない。
十二社権現(じゅうにしゃごんげん)石殿 (江戸時代中期 明和四年 1767年、流紋岩)
石段を登った所に三基ある石殿の、向かって右側の石殿。屋根・軸部・基礎で構成し、屋根は破風付入母屋造。
軸部の向かって右面に、明和四年の紀年銘が刻まれている。 | 刻銘:「明和四年(1767)二月吉日」 |
*近鉄大阪線 榛原駅前から奈良交通バス 上内牧・曽爾村役場前行きに乗車、「檜牧(ひのまき)市場バス停」下車 南西方向へ 約1.2Km。十二社権現は、西谷集落の一番奥、南側の山裾にある。
(撮影:平成23年12月22日)