恵重寺(けいちょうじ)地蔵石仏(昼間地蔵)

 恵重寺(けいちょうじ)(岡山県新見市正田847)

  新見市に五体ある南朝年号「正平十二年(1357)三月三日」銘 地蔵石仏の一体。昼間地蔵と呼ばれ地蔵堂に安置されている。

恵重寺地蔵石仏(県指定文化財、南北朝時代中期 正平十二年 1357年、和泉砂岩、高さ 135Cm)

境内南側、地蔵堂に安置されている。和泉砂岩製で、新見市に五体ある南朝年号 正平十二年(1357)銘の地蔵石仏の一体。

新見市には南朝年号 「正平十二年(1357)三月三日」銘の石造延命地蔵が五体あり、この恵重寺地蔵石仏(昼間地蔵)以外に宝台寺地蔵石仏正田地蔵石仏

(朝間地蔵)唐松地蔵石仏、金子峠地蔵石仏(夕間地蔵)がある。いずれも和泉砂岩製で、唐松地蔵石仏に「藤原友重」、他の四体には「光阿弥」の銘がある。

地蔵石仏 体部

右手に錫杖を持ち、左手は胸前で宝珠を捧げ持つ

地蔵は蓮華座上に立ち、右手に錫杖、左手は胸前で宝珠を持つ通常の形で、腰の部分を折損していることから「腰折地蔵」と呼ばれている

光背面に「正平十二年(1357)丁酉三月三日、光阿弥」の刻銘がある。

「腰折地蔵」について、「岡山県文化財辞典」(西日本文化財保護協会 編、現代創造社)に、「新見地方の古い習慣として婚礼の夜、集団で石地蔵を婚家の庭

担ぎこみ、祝酒を振舞われていた。これは花嫁が石地蔵のように、婚家に腰をすえるようにという迷信から出たもので、婚家では多数担ぎ込まれた石地

どこにあたものやら元に返すのに苦労したという話も残っており、その持ち運びの際、落ち腰折れになったのだろうといわれている。」と書かれている。・・・・・・

唐松地蔵石も腰の部分を折損し、「腰折地蔵」と呼ばれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地蔵石仏 下方

膝のあたりを折損する。

刻銘:「光阿弥」 刻銘:「正平十二年(1357)丁酉三月三日」

光背面の刻銘

恵重寺(けいちょうじ)(高野山真言宗)

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恵重寺 全景

五重塔は戦没者の供養塔として、戦後に建立されたという。

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*JR伯備線 「新見駅」 下車、南東方向へ徒歩 約2.6Km。宝台寺から南へ約1.6Km。

(撮影:平成24年6月30日)