朝間地蔵(あさまじぞう)(岡山県新見市正田)
新見市に五体ある南朝年号「正平十二年(1357)三月三日」銘 地蔵石仏の一体。朝間地蔵と呼ばれ地蔵堂に安置されている。
正田地蔵石仏(朝間地蔵)(県指定文化財、南北朝時代中期 正平十二年 1357年、和泉砂岩、高さ 135Cm)
和泉砂岩製で、新見市に五体ある南朝年号 正平十二年(1357)銘の地蔵石仏の一体。この朝間地蔵だけが、腰折れにならず完存する |
新見市には南朝年号 「正平十二年(1357)三月三日」銘の石造延命地蔵が五体あり、この正田地蔵石仏(朝間地蔵)以外に、宝台寺地蔵石仏、恵重寺地蔵石仏
(昼間地蔵)、唐松地蔵石仏、金子峠地蔵石仏(夕間地蔵)がある。いずれも和泉砂岩製で、唐松地蔵石仏に「藤原友重」、他の四体には「光阿弥」の銘がある。・
地蔵石仏 上部
お顔は人々の信仰により、撫でられ摩耗している。
地蔵は台座上に立ち、右手に錫杖、左手は胸前で宝珠を持つ通常の形で、台座から仏身、光背まで一石で造られている。 |
光背面に「正平十二年(1357)丁酉三月三日、光阿弥」の刻銘がある。
正平十二年(1357)十月、新見市の北側に隣接する鳥取県日南町印賀では、この地の二百余人の南朝方武士たちが、集団で自身の死後の為の供養
(逆修供養)をし、印賀(いんが)宝篋印塔を造立している。南北朝の対立が厳しくなり、北朝方が勢力を広げる中、南朝の旗幟を鮮明にしたと思われる。
地蔵石仏 台座
粗削りのままで、最上部に蓮弁様のものが刻まれている。
刻銘:「光阿弥」 | 刻銘:「正平十二年(1357)丁酉三月三日」 |
光背面の刻銘
朝間地蔵堂 建立時 願文
中央最上部に地蔵の種子「カ」、その下に「奉建立朝間地蔵堂一宇為、天下泰平 風雨順時、地内安穏 万民豊楽 也」
左右に法華経 化城喩品に出る偈(げ)が墨書されている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
偈(げ):「聖主天中天(しょうじゅてんちゅうてん)迦陵頻伽声(かりょうびんがしょう)、哀愍衆生者(あいみんしゅじょうしゃ)我等今敬礼(がとうこんきょうらい)」
[ 聖主・天中天(如来)よ、迦陵頻伽の声ありて、衆生を不憫に思うものを、われ等は今、礼拝したてまつる。]
迦陵頻伽(かりょうびんが):ヒマラヤ山中に棲む美声の鳥といわれ、仏の音声が勝妙なることをたとえる。
朝 間 地 蔵 堂
朝間地蔵は、地蔵堂内に安置されている。
*JR伯備線 「石蟹駅」 下車、北西方向へ徒歩 約1.6Km。恵重寺から南へ約700m。地蔵堂は、国道160号線(新見往来)、正田交差点の南西 約80m、山陽化学産業の裏側に建っている。
(撮影:平成24年6月30日)