清龍寺(せいりゅうじ)宝篋印塔

 清龍寺(せいりゅうじ)(岡山県津山市川面330)

   近江文様の開蓮華が基礎に刻まれている南北朝時代中期 延文五年(1360)の在銘作品。

清龍寺 宝篋印塔(市指定文化財、南北朝時代中期 延文五年 1360年、花崗岩、高さ 192.5Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を薬研彫する(正面、キリーク:阿弥陀如来)
宝篋印塔は、本堂に向かって右手前、十王堂の横に立っている 塔身、金剛界四仏の種子を薬研彫する(北面、アク:不空成就如来)

笠の段型は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で内に梵字を刻む

梵字は、「イ(伊舎那天)」、「イー(帝釈天)」らしき梵字が見え、尾道市 浄土寺宝篋印塔と同様八方天種子を刻んだものかもしれない

塔身、金剛界四仏の種子を薬研彫する(背面、ウーン:阿閦如来)
塔身、金剛界四仏の種子を薬研彫する(南面、タラーク:宝生如来) 如法経三千部を埋納し、その上に供養塔として造立された

基 礎 正 面

上端は二段、側面は輪郭を巻き、内に格狭間をつくる。格狭間内には、近江文様の開蓮華を刻む。

相輪は伏鉢がなく、下から請花、九輪が十一輪あり、上方の請花がなく、宝珠と続く。九輪が二輪多く、宝珠の下に請花がないのは珍しい

基 礎 北 面

基礎の束、計 三か所に刻銘がある。

刻銘:「三千部妙典納口」「延文五年(1360)庚子三月」「願主沙門祐盛敬白」

台 座

分厚い切石の基壇上に複弁反花座を置き、宝篋印塔を据える

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清龍寺(せいりゅうじ)本堂(江戸時代前期 寛文九年 1669年再建)

津山藩城主 森忠継の寄進により再建された。本尊は二十七面千手千眼観音

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*JR因美線「高野駅」下車、東南東方向へ約2Km。

(撮影:平成23年7月17日)