其ノ田(そのた)三尊種子板碑

 其ノ田(そのた)三尊種子板碑[大分県豊後高田市田染(たしぶ)蕗]

   富貴寺の門前から約250m南西の川端に二基の板碑が立ち、その向かって左側の板碑。二基とも南北朝時代初期 建武元年(1334)の銘がある。

其ノ田(そのた)三尊種子板碑(県指定文化財、南北朝時代初期 建武元年 1334年、凝灰岩、高さ 195Cm 下幅 42Cm)

頭部山形、下に二条線、額部は突出し、金剛界大日の種子「バン」、身部に普賢の種子「アン」、文殊の種子「マン」、下方に銘文を刻む

板碑 頭部

頭部山形は尖り、下に二条線。額部(がくぶ)は突出し、金剛界大日如来の種子「バン」を刻む

「バン」は、三反畑(上自在)板碑の様に明確に刻まれていない。中央に、それらしき痕が残る程度である。

身部の種子、普賢菩薩「アン」(上)、文殊菩薩「マン」(下) 身部下方の刻銘

身部上方に大きく普賢菩薩の種子「アン」続いて文殊菩薩の種子「マン」を薬研彫する。普賢・文殊は、釈迦三尊の脇侍である。

身部下方の刻銘:「建武元年(1334)甲戌八月廿四日」「山房尼法阿」「所奉訪聖霊、沙弥道治、沙弥明照」

側面は、頂部から身部・根部に至るまで、緩やかなカーブで湾曲させる。右脇に立つ阿弥陀三尊板碑の約三カ月前に造立されている

其ノ田(そのた)種子板碑・二基 (県指定文化財、南北朝時代初期)

銘文は、身部下方の中央部から向かって左側に刻まれている

 梅遊寺(ばいゆうじ)十三仏種子板碑                        石仏と石塔-目次!

其ノ田(そのた)種子板碑・二基 (県指定文化財、南北朝時代初期)

後方左側に蕗川が流れ、右側奥が富貴寺

 板碑(いたび)

*富貴寺の門前より南西方向へ、約250m。蕗川の南側。

(撮影:平成23年3月16日)