叡福寺(えいふくじ)多宝塔(南河内郡太子町太子2146)

  「上の太子」と呼ばれ、聖徳太子御廟所としてよく知られている

叡福寺多宝塔(重要文化財、江戸時代前期 承応元年 1652年、本瓦葺、高さ約18m 一辺4.8m)


上重、四手先組物と扇垂木

下重、二手先組物、中備え脇間の蓑束

叡福寺は、推古天皇が聖徳太子の葬られた地に、その墓を守護しかつ冥福を祈るために一寺建立したことに始まる。

塔は高い基壇の上に建ち、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらす。中央間は桟唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間蟇股、脇間蓑束


上重、尾垂木の上で邪鬼が軒を支える

下重、四隅の鬼瓦

塔の内部は四天柱があり須弥壇を設け、東面に釈迦三尊、西面に大日如来を安置する

中備えの蟇股は精巧で美しい


上重、四手先組物と扇垂木

下重、本瓦葺屋根

高い基壇の上に建つ塔は、承応元年(1652)江戸の三谷三九郎の再建

聖徳太子の御廟所

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御廟内部の建物、正面扉上に阿弥陀三尊彫像が懸かる

叡福寺金堂(江戸時代 享保17年再建)

金堂は如意輪観音を祀る

*近鉄喜志駅下車、金剛バスにて「太子前」下車、すぐ。この塔も写真に撮りにくい塔だ。組物の所が黒くつぶれがちになる。この日は「太子前」から近鉄上ノ太子駅に出て、当麻寺に向かった。

(平成17年12月11日・平成19年2月25日撮影)