浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑

 浄蓮寺(じょうれんじ)(埼玉県秩父郡東秩父村御堂362)

  浄蓮寺十三世日栄上人 ただ一人の為の逆修塔で、表面に七本の五輪卒塔婆を刻み、下に偈と願文を刻んでいる。文禄四年(1595)の在銘。

浄蓮寺七基連刻板碑(県指定文化財、安土桃山時代 文禄四年 1595年、緑泥片岩、高さ 111Cm 下幅 61Cm)

頭部山形、身部は高さに対して幅を広く取り、五輪塔形を七基横に並べ、下段に偈と初七日から七七日迄の願文を刻む。日栄一人の逆修塔

板碑 頭部

頭部山形、二段の切込は省略し、左右に日月の円形を浅く彫る。身部は、一重線の輪郭を巻く。

身部は縦七行、横三段の罫線を入れ、上段は五輪塔形に題目、中段は二行で各々に偈(げ)、下段は初七日から七七日迄の願文を刻む

身部 上段

五輪塔形を七基浮彫にし、各輪に「妙法蓮華経」の題目を刻む。

身部 中段

中段は、向かって右端の初七日()から左端の七七日()まで、法華経に出る偈(げ)を二行(二句)で刻む。

①.偈(初七日)(法華経方便品):「心生大歓喜(しんしょうだいかんき)、自知当作仏(じちとうさぶつ)[ 心に大歓喜を生ぜよ、自らまさに仏となるべしと知れ ]

②.偈(二七日)(法華経譬喩品):「唯我一人(ゆいがいちにん)、能為救護(のういくご)[ ただ我一人(釈迦)のみ、よく救護(くご)をなすなり ]

③.偈(三七日)(法華薬草喩品):「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)[ 現世は安穏にして、後には善い運命に生ぜんことを。 ]

④.偈(四七日)(法華経見宝塔品):「一切天人(いっさいてんにん)、皆応供養(かいおうくよう[ 一切の天・人は、皆まさに供養すべし ]

⑤.偈(五七日)(法華経安楽行品):「願成仏道(がんじょうぶつどう)、令衆亦尓(りょうしゅやくに[ 願わくば仏道を成じて、衆生をしてまたしからしめんことを ]

⑥.偈(六七日)(法華経如来寿量品):「常説法教化(じょうせつぽうきょうけ)、無数億衆生(むしゆおくしゅじょう[ 常に法を説きて、無数億の衆生を教化する ]

⑦.偈(七七日)(法華経如来神力品):「是人於仏道(ぜにんおぶつどう)、決定無有疑(けつじょうむうぎ[ この人は仏道に於いて、決定して疑いあることなし ]

身部 中段

中段は、向かって右端の初七日(①)から左端の七七日(⑦)まで、願文を二行で刻む。

①.願文(初七日):「夫願者為日栄尊霊初七日幷、奉建立祈求七分全得也、法印」

②.願文(二七日):「右志者為日栄覚位二七日奉成、法報応化之覚体者也、万源」

③.願文(三七日):「右意者為日栄三七日之断無明、證中道之要行也、乃至法界」

④.願文(四七日):「右塔婆者為日栄四七日妙覚、果満之奉造立処也、平等利益」

⑤.願文(五七日):「右芳墳者為日栄位五七日也口、得二世之安楽有何猶予乎、抜済」

⑥.願文(六七日):「右志為日栄六七日仏果円、満之奉建立後善也、法界」

⑦.願文(七七日):「夫高顕者為日栄七々日鏤常住寂、光之尊形仰三菩提指南者也、法界」

初七日にある「七分全得」という言葉は、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功は自分が得られる。

死後の追善は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。・.

七基連刻の板碑は、全国でもこれ一基だけで極めて珍しい 板碑 背面、「文禄四暦(1595)、乙未、七月吉日」

背面に「文禄四暦(1595)、乙未、七月吉日」と大きく紀年銘が刻まれている。

武蔵型板碑は、上限年代が須賀広 嘉禄三年銘(1227)板碑で、下限が埼玉県戸田市 妙顕寺の慶長三年(1598)。文禄四年(1595)は、板碑制作の末期にあたる。

 浄蓮寺(じょうれんじ)天正十七年銘題目板碑                        石仏と石塔-目次!

浄蓮寺(じょうれんじ)本堂 (日蓮宗)

正応元年(1288) 地元の豪族 大河原神治太郎光興(法名 浄蓮)が、日朗上人に開山を依頼したのに始まる。

また、松山城主 上田家の菩提寺としても知られる。

 板碑(いたび)

*東武東上線 JR八高線 小川町駅前からイーグルバス 白石車庫前行きに乗車、「学校入口バス停」下車、西方向へ徒歩 約3分。板碑は、祖師堂の背後に立っている。

(撮影:平成24年4月21日)