金蔵院(こんぞういん)(埼玉県比企郡吉見町大串2244)
宝篋印塔は関東特有の二重形式で、保存状態も良く美しい。基礎側面に南北朝時代後期 永和二年(1376)の紀年銘がある。
金蔵院(こんぞういん)二重宝篋印塔 (県指定史跡、南北朝時代後期 永和二年 1376年、安山岩、高さ 190Cm)
二層目軸部、輪郭を巻き金剛界四仏の種子を刻む(正面、タラーク:宝生) | ||
金蔵院毘沙門堂の西方約70mの畑中に、覆屋を設け内に安置する | 二層軸部、輪郭を巻き金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク:阿弥陀) |
二層目 笠
笠の段型は、下二段、上六段、六段目は背を高くして内に格狭間をつくり露盤とする。隅飾は二弧輪郭付で内は無地、やや外傾し、裾に蕨手をつける。
二層目軸部、輪郭を巻き金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) | ||
二層目軸部、輪郭を巻き金剛界四仏の種子を刻む(東面、ウーン:阿閦) | 宝篋印塔は、関東特有の二重形式になっている。 |
初層 笠
隅飾りの先端に蕨手(わらびて)をつけ、高欄(勾欄)風になっている。
相輪は、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪は先端が欠け、接続修理が施されている。二層目笠の隅飾りも、北西側を欠く。 |
初層 軸部
四面とも二区に分け、内は無地
基礎 正面
基礎上端は二段、側面は二区に分け、内に光明真言と「永和二年(1376)丙辰十一月日、沙弥隆保」の紀年銘を刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
石塔は、平安時代末に源平合戦で活躍した大串次郎の墓と伝える | 刻銘:「永和二年(1376)丙辰十一月日、沙弥隆保」 |
平成11年(1999)の保存修理工事で、宝篋印塔の地下から、人骨を納めた13世紀初頭の中国産 白磁四耳壺(はくじしじこ)、12世紀後半の愛知県渥美産の大甕が出土した。
基礎 西面
正面を除く三面は、側面二区で、内に光明真言刻む。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
反花座(かえりばなざ)
切石の基壇上に、上端が複弁反花、側面が二区の反花座を置き、上に石塔を据える。
畑中の覆屋に安置されている宝篋印塔
平成11年(1999)の保存修理工事で、覆屋が設置された。その際、人骨を納めた13世紀初頭の白磁四耳壺(はくじしじこ)が発見されている。
宝篋印塔紀年順 | 釈迦堂跡(しゃかどうあと)宝篋印塔(南北朝時代) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR高崎線 鴻巣駅前から東武バス ウエスト 川越行きに乗車、「上荒子バス停」下車、南西方向へ 約450m。
(撮影:平成23年11月2日)