埼玉県の塔

金鑚神社

 金鑚神社(かなさなじんじゃ)多宝塔(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮)

  延喜式神名帳にも名を残す古社。武蔵国二の宮とも称された

金鑚神社多宝塔(重要文化財、室町時代 天文3年 1534年、こけら葺、高さ 13.5m)


上重、四手先組物・二軒繁垂木

下重、軒が流れるように美しく、緑にとけこんでいる

金鑚神社は、旧官幣中社で、武蔵国二の宮と称された。地名の二の宮はこれによっている。

塔は高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間は正面のみ桟付窓 他は板張り、中備えは三間とも間斗束


尾垂木が繊細なアクセントをつけている

下重、柱は円柱、組物は出組。

社伝によれば、金鑚神社は日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火打金を御霊代(みたましろ)として、この地の

御室山(御岳山)に奉納し、天照大神とスサノウノミコトを祀ったのが始まりとされている (金鑚神社の説明文より)

上重は平三斗上に回縁を設ける。亀腹は板張り


上重、四手先組物と二軒繁垂木

下重、屋根はこけら葺

多宝塔は天文三年(1534)阿保弾正全隆が寄進したもので、もと別当大光普照寺に所属

鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が篤く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られた

多宝塔の内部は、来迎柱〈後退)二本の間に来迎壁、須弥壇を設ける

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金鑚神社拝所

金鑚神社は、拝殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。

旧官・国弊社の中で本殿がないのは大神(おおみわ)神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)のみである。

(平成17年8月14日撮影)