興禅寺(こうぜんじ)嘉吉三年銘 宝篋印塔

 興禅寺(こうぜんじ)(兵庫県丹波市春日町黒井2263)

   宝篋印塔は、室町時代前期 嘉吉三年(1443)の銘があり、春日町稲塚字大野の千丈寺から移されたものという。

興禅寺(こうぜんじ)宝篋印塔 (市指定文化財、室町時代前期 嘉吉三年 1443年、流紋岩)

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、キリーク:阿弥陀如来)
本堂の裏、山裾に西面して立つ二基の内、南側の宝篋印塔 基礎、上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き、内に格狭間。背面のみ無地

笠の段型は、下二段、上六段の通常型。隅飾は二弧輪郭付で内は無地、外傾する

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(背面、ウーン:阿閦如来)
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(東面、タラーク:宝生如来) 在銘作品の少ない室町時代 嘉吉三年(1443)の造立で、貴重

基礎 正面

両側の束に「嘉吉三年(1443)八月 逆修結衆」の刻銘がある。

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(西面、アク:不空成就如来) 宝篋印塔は相輪を欠き、小五輪塔の風・空輪を逆向きに載せている

二基の宝篋印塔

二基の宝篋印塔は、黒井城主 赤井氏一族の菩提寺といわれる千丈寺から移されたもの

興禅寺(こうぜんじ)本堂(曹洞宗)

興禅寺は、徳川三代将軍家光の乳母「春日局」誕生の地として知られている

 興禅寺(こうぜんじ)文安五年銘 宝篋印塔                      石仏と石塔-目次!

興禅寺(こうぜんじ)総門

戦国時代、この地域は黒井城の下館(しもやかた)で、明智光秀の丹波攻めで落城した。

丹波制圧後、光秀の重臣 斎藤利三(春日局の父)が居住した。興禅寺は、その館の跡に建立された。

宝篋印塔紀年順

  無量光寺(むりょうこうじ)文安二年銘 宝篋印塔(室町時代前期)

 宝篋印塔-紀年順-目次

*JR福知山線 「黒井駅」 下車、北北東方向へ徒歩 約15分。

(撮影:平成23年8月17日)