印賀(いんが)宝篋印塔

 印賀(いんが)宝篋印塔(鳥取県日野郡日南町印賀)

   南北朝時代中期 正平十二年(1357)、 この地の二百余人の武士たちが、自身の逆修供養の為造立した。

印賀(いんが)宝篋印塔 (県指定文化財、南北朝時代中期 正平十二年 1357年、花崗岩、総高 237Cm)

塔身側面、塔身は正面に銘文を刻み、他の三面は無地。
宝篋印塔は、八幡山と呼ばれる小丘上に立っている 塔身正面、四行にわたる銘文を刻むが、摩耗激しく読めない。

塔身正面の刻銘:「逆修一日相口妙典、十三部供養巳畢、正平十二(1357)丁酉十月日、一結衆二百餘口敬白

笠の段型は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付。

刻銘により、南北朝時代中期 正平十二年(1357)十月、 この地の二百余人の武士たちが、自身の逆修供養の為造立した。

正平年号は南朝年号で、南朝方の武士たちは、自身の生存中に死後の供養をし、南北朝対立の戦に備えたと思われる。

興味深いのは、ここ日南町に隣接する岡山県新見市に南朝 正平十二年(1357)銘の石造延命地蔵が五体あり、この年が南朝側への旗幟を鮮明にした年かもしれない。

新見市の五体は、恵重寺地蔵石仏(昼間地蔵)正田地蔵石仏(朝間地蔵)、唐松地蔵石仏、金子峠地蔵石仏(夕間地蔵)、宝台寺地蔵石仏で、いずれも県指定文化財。

基  礎

基礎上端は二段、側面は輪郭を巻き内に図案化された格狭間をつくる。

相輪は下から、縦長の伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠。宝篋印塔はスラリとした縦長で、やや工芸的な南北朝時代を表す形をしている。

反花座 (かえりばなざ)

覆輪(ふくりん)を付け、単弁の蓮弁を強調している。

印賀(いんが)宝篋印塔 (県指定文化財、南北朝時代中期 正平十二年 1357年)

八幡山の頂上に立っている。ここから地域の中心を見渡すことができる。

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古市バス停(日南町営バス)

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*JR伯備線 生山(しょうやま)駅前から日南町営バス大宮線 栃波方面行に乗車、「古市バス停」下車、西方向へ徒歩 約14分。八幡山の頂上に立っている。

(撮影:平成24年6月29日)