清水寺墓地(きよみずでらぼち)大日種子自然石塔婆(島根県安来市清水町)
島根県では、在銘最古の石塔婆で南北朝時代 正平十四年(1359)の紀年銘がある。
清水寺墓地大日種子自然石塔婆 (南北朝時代中期 正平十四年 1359年、凝灰岩、高さ 134Cm 最大幅 47.5Cm)
清水寺仁王門を抜け、墓地へと入る地道に立つ。頭部平面、後部が出張った三角柱状自然石の表面を均し、梵字と紀年銘等を刻む |
石塔婆 上部
蓮華座上に大きく金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。
頭部は平で、二条線は刻まない。上方大日種子の下に「正平十四年(1359)己亥二月時正、寺主法円、法明禅尼」と刻む |
正平十四年(1359)春、彼岸の中日に寺主法円の勧進により、法明禅尼が造立した。
石塔婆 下方
向って右側に「寺主法円」、左側に「法明禅尼」、中央は「二月時正」の刻銘。
刻銘:「正平十四年(1359)、己亥」 | 島根県では在銘最古の石塔婆で、正平の南朝年号と共に貴重な遺品 |
尚、清水寺墓地には正平十二年(1357)銘の宝篋印塔基礎があり、正平塚の五輪塔・地蔵石仏と合わせ四点もの正平銘遺品が残り、この時代の南朝勢力が伺える。
清水寺 仁王門
石塔婆は、仁王門手前の道を下り、墓地に入る最初の地道の中程に立っている。
清水寺三重塔(県指定文化財、江戸時代後期 安政六年 1859年、本瓦葺、高さ 33.3m)
三重塔は一万人の浄財により、文政十年(1827) 恵教和尚のもとで始まり、住職二代、大工三代の悲願の末、三十三年かかり完成した。
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清水寺根本堂(本堂)(重要文化財、室町時代 明徳四年 1393年、正面七間、奥行き七間、入母屋造、こけら葺)
清水寺は、大同元年(806) 平城天皇の勅を受け盛縁が再興した。
承和十四年(847)、慈覚大師円仁が唐留学の帰路に立ち寄り光明真言会を創め、これを機に天台宗となった。
*JR山陰本線 安来駅前から安来市広域生活バス安来-清水線、又は観光ループ線に乗車、「清水バス停」下車すぐに清水寺大門がある。大門から長い石段を登り清水寺宝物館の前を奥に、急な舗装された坂道を過ぎると仁王門に出る。石塔婆は、仁王門から約350m下った所に、墓地に下りる細い地道があり、その中程に立っている。
(撮影:平成24年9月18日)