真福院(しんぷくいん)種子自然石塔婆群

 真福院(しんぷくいん)(三重県津市美杉町三多気204)

  旧 美杉村の梵字石仏と呼ばれる独特の自然石塔婆群で、一基は阿弥陀三尊と地蔵三尊の種子を刻む珍しいもの。

真福院(しんぷくいん) 種子自然石塔婆群 (県指定史跡、鎌倉時代中期、大洞石:凝灰岩)

  真福院 阿弥陀三尊・地蔵三尊種子自然石塔婆

   正面上部に阿弥陀三尊の種子、下部に地蔵三尊の種子を刻んだ石塔婆で、極楽浄土の阿弥陀と現世救済の地蔵を表す。

真福院 阿弥陀三尊・地蔵三尊種子自然石塔婆(県指定史跡、鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 180Cm 幅 55Cm 厚さ 40Cm)

三基の内、右側の石塔婆。大洞石(おおぼらいし)と呼ばれる凝灰岩の表面上部に、阿弥陀三尊の種子、下部に地蔵三尊の種子を刻む

阿弥陀如来は極楽浄土におわし、臨終に際しては現世に来迎する。地蔵は釈迦入滅から弥勒仏が下生するまでの間、衆生を救済し極楽浄土へと導く。

石塔婆正面 上部、阿弥陀三尊の種子を刻む 石塔婆正面 下部、地蔵三尊の種子を刻む

阿弥陀三尊は、上方に「阿弥陀如来(キリーク)」、下方向かって右側に「観音菩薩(サ)」、左側に「勢至菩薩(サク)」の種子を刻み阿弥陀三尊とする。

地蔵三尊は、上方に「地蔵菩薩(カ)」、下方向かって右側に「矜羯羅童子(コンカラ)」、左側に「制叱迦童子(セイタカ)」の種子を刻み地蔵三尊とする。

  真福院 胎蔵界大日種子自然石塔婆

   弘長元年(1261)銘自然石塔婆(県文)と同じ形式で、それより小型の石塔婆。

真福院 胎蔵界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 127Cm 幅 74Cm 厚さ 30Cm

三基の内、中央の石塔婆。大洞石(おおぼらいし)の表面に、蓮華座上月輪を線刻し、内に胎蔵界大日如来の種子「アン」を薬研彫する

石塔婆の頂上に笠石、その上に自然石を置く

石塔婆正面 上部

線刻月輪内に胎蔵界大日如来の種子「アン」 を薬研彫する

石塔婆正面 下部

三角形の台座(地中)上に蓮華座を線刻する

  真福院 金剛界大日種子自然石塔婆

   金剛界大日如来の種子を刻む石塔婆で、蓮華座の形が簡略化され、一茎蓮になっている。

真福院 金剛界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、鎌倉時代後期、凝灰岩、高さ 110Cm 幅 54Cm 厚さ 40Cm

三基の内、向かって左側の石塔婆。大洞石の表面に一茎蓮を線刻し、蓮華座上月輪内に金剛界大日如来の種子「バン」を刻む

石塔婆正面 上部

線刻月輪内に金剛界大日如来の種子「バン」 を薬研彫する

石塔婆正面 下部

一茎蓮を線刻し、上部の花を蓮華座とする

 美杉型梵字石仏一覧

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
  鎌倉時代中期
真福院(しんぷくいん)大日種子自然石塔婆      弘長元年(1261年) 三重県津市美杉町三多気204
小屋谷(こやだに)胎蔵界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 奈良県宇陀郡御杖村神末小屋谷
真福院(しんぷくいん)阿弥陀三尊・地蔵三尊種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 三重県津市美杉町三多気204
真福院(しんぷくいん)胎蔵界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代中期 三重県津市美杉町三多気204
太郎生(たろう)胎蔵界大日種子自然石塔婆    鎌倉時代中期 三重県津市美杉町太郎生
春日(かすが)大日種子自然石塔婆(梵字石仏)     鎌倉時代中期 奈良県宇陀市大宇陀区春日
  鎌倉時代後期
国津(くにつ)神社 阿弥陀種子自然石塔婆       鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生
真福院(しんぷくいん)金剛界大日種子自然石塔婆  鎌倉時代後期 三重県津市美杉町三多気204
日神(ひかわ)不動院 阿弥陀三尊種子自然石塔婆 鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生5139
西法寺(さいほうじ)阿弥陀種子自然石塔婆    鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生4060
日神(ひかわ)不動院 金剛界大日種子自然石塔婆.        鎌倉時代後期 三重県津市美杉町太郎生5139

 真福院(しんぷくいん)宝篋印塔                          石仏と石塔-目次!

真福院(しんぷくいん)本堂

 板碑(いたび)

*近鉄大阪線 名張駅西口から三交バス 敷津行きに乗車、終点「敷津バス停」下車 徒歩、東方向へ約50分。真福院入口の石鳥居に向かって、左手奥 石段下に安置されている。

(撮影:平成23年6月23日)