無量光寺(むりょうこうじ)応永十四年銘 宝篋印塔

 無量光寺(むりょうこうじ)(神奈川県相模市南区当麻578)

  歴代廟 中世宝篋印塔群の一基で、室町時代前期 応永十四年(1407)の在銘塔。

無量光寺 宝篋印塔(中央)(市指定史跡、南北朝時代後期 応永十四年 1407年、安山岩、高さ 113Cm)

歴代廟所、中央塔から右側へ六基目の宝篋印塔で、塔身の正面に室町時代前期 応永十四年(1407)の紀年銘がある。

段型は下二段、上五段で最上部は側面二区の露盤とし、隅飾は二弧輪郭付で内は無地。

塔身 正面

塔身は、四面とも輪郭を巻き内は無地、正面に紀年銘が刻まれている

刻銘:「応永十四(1407)丁亥三月十六日」

左隣の至徳塔から、丁度 二十年後の同月同日に造立されている。

刻銘:三月十六日」 刻銘:「應永十四年(1407)、丁亥

基礎 正面

基礎上端は二段の段型、側面は四面とも関東形式の二区で、正面に薄い刻銘がある。

刻銘は、應の字から始まり、この文字が磨滅しかけているので、塔身に同じ文字を写したとも考えられる。

相輪は、下から伏鉢・請花・九輪で、九輪は八輪を残し上部の請花・宝珠を欠失する。また、伏鉢は低く、九輪の輪間は線刻で表現する。

反 花 座

上端は背の高い複弁反花、側面は二区で、内は無地。

無量光寺 歴代廟塔 向って右側

応永十四年(1407)銘 宝篋印塔は、中央塔の右 6の位置に安置されている。

中央塔から、向って右に十基、左に五基、前方にも多数の宝篋印塔が安置されている。

指定 名       称 制  作  年 西  暦
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)文保三年銘 宝篋印塔     鎌倉時代後期 1319年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)元応二年銘 宝篋印塔     鎌倉時代後期 1320年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)康永三年銘 宝篋印塔     南北朝時代前期 1344年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)貞和年銘 宝篋印塔      南北朝時代前期 1345~50年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)康安元年銘 宝篋印塔     南北朝時代中期 1361年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)至徳四年銘 宝篋印塔     南北朝時代後期 1387年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)応永二年銘 宝篋印塔     室町時代初期 1395年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)応永十四年銘 宝篋印塔    室町時代前期 1407年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)応永二十一年銘 宝篋印塔  室町時代前期 1414年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)永享二年銘 宝篋印塔     室町時代前期 1430年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)文安二年銘 宝篋印塔     室町時代前期 1445年
市・史跡 無量光寺(むりょうこうじ)寛永七年銘 宝篋印塔     江戸時代前期 1630年

無量光寺(むりょうこうじ)宝篋印塔 一覧

 無量光寺(むりょうこうじ)応永二十一年銘 宝篋印塔                石仏と石塔-目次!

お髪塚(おはつづか)五輪塔 二基

南北朝時代 応安元年(1368)、徳川家康の先祖である世良田左京亮有親、松平太郎左衛門尉親氏 父子が、南朝方につき

挙兵したが、戦が不利になり、戦場を逃れ当寺に入った。そのまま無量光寺八世 良光上人の剃髪を受け出家した。その頭髪

をここに埋めたところから「お髪塚」と呼ばれる。父親の有親は、名を長阿弥と号し修行に励み当寺で亡くなった。九世 慈光上

人は、遺骨をこの塚に納め、五輪塔を建立し菩提を弔った。息子の親氏は三河の地で松平家を起し、徳川家に繋がったという。

宝篋印塔紀年順  徳源院(とくげんいん)宝篋印塔(高光 墓)(室町時代前期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR東相模線 「原当麻(はらたいま)駅」下車、西方向へ徒歩 約17分。

(撮影:平成24年11月7日)